Michael Thompson Biography

これまで数々のミュージシャンの作品に参加し、ツアーやグラミー賞などの舞台で
素晴らしい腕前を披露してきた彼の経歴を紹介いたします。
96年にソロアルバムを出した直後、一時的に本人が作っていたWeb Siteに載っていたものを日本語訳しました。

 


New York から Los Angelesへ~

マイケルは1954年2月11日、ニューヨークのロングアイランドに生まれる。

マイケルが9歳の時、「エド・サリバン・ショウ」でのTHE Beatles の演奏をテレビで見て衝撃を受ける。そのクリスマスに、マイケルと彼の兄は両親にギターが欲しいとせがみ、彼等があまりにも真剣だったので、とても安いギターを1つだけ買い与えた。
兄はギターの熱狂から冷めてしまったのだが、マイケルの自然の能力と楽器への献身さはすぐに明白になってくる。彼が11歳の時、何人かの近所の子供達と初めてのバンドに参加。中学、高校と兄のトッドや友人達とともに、"Stonefeather"というバンドを結成する。

高校卒業後、両親に自分がボストンのバークリー音楽学院で勉強したいというマイケルに母親はなかなか信じなかったが、父親はプロのミュージシャンになると言う彼の夢を追求するチャンスを与えようと決心した。
バークリー音楽院に通学した2年間、マイケルは彼の愛した音楽の大部分である『レコードジャケットの表紙に載るような名前のアーチィストではない演奏』いわゆるスタジオミュージシャンのグループを選択し学ぶ。彼も僅かな選ばれたミュージシャンの中の一人になりたいと決心し、バークリーでの勉学の後、マイケルは当時人気の新しいEngland R&Bグループ"The Ellis Hall Band"に参加する為、ボストンに残る。この頃、マイケルは今の彼の妻であるグロリアと出会い結婚。マイケルのバークリーでのジャズトレーニングと、彼が自然に愛するブルースベースのロックンロール。洗練された彼自身のユニークなスタイル・・・。 Ellis Hallとの大学巡回ライヴとクラヴツアーを数年経た後、マイケルとグロリアはエンタテインメントの産業の中心であるロスへ移る決心をする。

マイケルはすぐにそう簡単には成功しないスタジオミュージシャンの現実を知る。彼はクラブで演奏しデモでプレイしたり、タクシーの運転手をしたり、Joe Cocker、 Char、Andy Frezier やその他のアーチィストのバックミュージシャンとしてツアーにも出た。
彼と一緒に働いたほとんど全ての人々が、マイケルの才能を直ちに評価する。・・・しかし、その才能もスタジオミュージシャンが作る部分は一部のみ。ロスではスタジオミュージシャンはカメレオンのようになり、手近に仕事に適合され、彼の芸術の色は形を変えてしまう・・・。スタジオミュージシャンもまた簡単に仕事を一緒にし、アーチィストのクリエイティヴな理想像に進歩なしに曲の改善の仕方を知るのだった・・・。マイケルのユニークな能力で、時を誤らずに正しいことをプレイするという事はゆっくりであったが、しっかりした土台を広げてゆく。
そして数年後、マイケルはいくらかの大物プロデューサー達に呼ばれ始める。特にDavid Fosterと仕事をするようになってからは、次々と彼に声がかかるようになった。近年よく仕事を一緒にしているBabyfaceもその1人だ。彼等がマイケルの演奏に失望することはなかった。

今日、マイケルは世界でスタジオミュージシャン達から引っ張りだこの1人となった。彼は世界中のアーチィスト達のレコードでプレイし、度々彼を必要とする人々のために働く時間を見つけることが出来ないほどだ。彼の能力は勿論、誠意的なプレイ、様々な音楽のスタイルと信念で、マイケルは世界中のレコードプロデューサー達やアーチィスト達に貴重な資産を作り出していることだろう。

Michael Thompson From Wikipedia

 


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